こんにちは、ラコルタの重田です。
ここ蓼科のゴールデンウィークは嵐のように過ぎ去り、またのどかな空気が流れています。気温も徐々に上がってきて、コーヒーを片手にテラスに出て読書でも始めたら、一日があっという間に終わってしまいそうな感じです。
ところで、こちらの東急リゾートタウン蓼科にいらっしゃる際に通る県道192号線、通称「ビーナスライン」。その由来はご存知ですか?今回は、ビーナスラインについてお話しようと思います。
ビーナスラインは、茅野市街から蓼科湖、白樺湖、車山高原を経由して美ヶ原に至る観光道路ですが、戦時中は国鉄茅野駅から郊外の花蒔(はなまき)という駅まで鉄道が敷かれていて、花蒔よりさらに山奥の鉄山から鉄鉱石を掘り出して、茅野駅を経由して神奈川県の川崎にある製鉄所に運ばれていました。
ただ、その鉄道は昭和19年に運用を始めたものの翌20年の終戦と共に廃止されたそうです。
その線路跡に作った道路こそがビーナスラインで、まず昭和38年に茅野市街から蓼科湖までの道路が開通して、その後順次路線が延びて、昭和56年に美ヶ原まで全線が開通しました。開通当初は建設費用を賄うため有料道路で、7~8ヶ所の料金所があったそうです。
「ビーナスライン」の名前の由来は昭和43年、霧ヶ峰有料道路の霧ヶ峰線(大門から強清水まで)が開通した際に、霧ヶ峰有料道路の美ヶ原までの有料道路全線の愛称が募集され、1457通の中から「ビーナスライン」が選ばれました。
ビーナスラインから望める蓼科山を、歌人伊藤左千夫が「信濃には八十の群山ありといへど女の神山の蓼科われは」とうたっている女の神の近代語の「ビーナス」と呼びかえ、美ヶ原の「美」も「ビーナス」に通じるものとして命名者の理由にあったそうです。
また余談ですが、現在の茅野駅東口にあるC12型蒸気機関車の67号機は、戦時中に鉄鉱石を乗せてビーナスラインを走っていた機関車だそうです。
これからの時期、霧ケ峰や美ヶ原の方はドライブにはとても気持ちいい季節で、あと1~2ヶ月もすると花が咲いてきてハイキングやトレッキングにももってこいの季節です。予定が未定の方は、ぜひ予定に入れて頂ければと思います。