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静波海岸の記事一覧

2011/02/15

扇風機とプロペラ

「お茶畑にいっぱい立っている、あの扇風機はなんですか?」寒い季節になると、この様なご質問をお客様から時々頂戴します。 暖かい季節には、ゆっくりと風でまわる様子がのどかに見え、色彩豊かな周囲の景色に溶け込んでいるのが、冬には寒空のグレーっぽい景色に浮かび上がっていて、不思議に思われる方が多い様です。 あれは、富士山静岡空港が開港した折に濃霧に悩まされた為、急遽地元の農家の協力を得て、霧を吹き飛ばす為に立てた秘密兵器・・・。いや、空港辺りは気流が激しい為、飛行機がオーバーランをして飛び出してしまうのを吹き戻す、防(暴)走ファン・・・。いやいや、あれは夏の暑いときの作業の為に・・・・・。どれでもありません。 あの扇風機の様な物は、お茶の木を霜の被害から防ぐ防霜ファンで、春先には夜中から明け方に掛けてファンが回っている音をよく耳にします。 若い芽は特に霜に弱いのですが、新芽が出る新茶の頃には、まだ霜が降りることがあります。しかし、地表に霜が降りてしまう様な気温でも、その数メートル上空はまだ暖かい場合があり、その暖かな空気をファンで地表近くに送り、霜の害を防ぐ為に防霜ファンは立っています。多くは温度センサーにより設定温度を下回ると自動に動くように設定されています。本当に冷え込んでしまうと残念ながら効果は薄れてしまい、昨年などは一番茶の収穫が大打撃を受けてしまいました。 お茶農家の仕事は、春先に出る芽を摘んでしまえば次の年まではあまりすることが無い様にも思われがちです。しかし、暑い夏も寒い冬もお茶畑で仕事をされている姿を見かけます。その日々のご苦労と合わせて、まさに天から降ってくる様な自然の力、天災への気苦労は大変なものだと思います。 先日、牧之原台地にかつてあった大井海軍航空隊の飛行場跡地を歩いてきました。その折に、お茶畑にいた方が仕事の手を止めて、親切に飛行場のお話や、お茶畑のお話をして下さいました。今の時期から一番茶に合わせた準備をされていて、新茶を摘む際に古い葉が混じると味が落ちてしまうとの事で、傍目には判らないような僅かに飛び出した葉を一枚一枚丁寧にはさみで切るという作業をされていました。 「孫と一緒でかわいくてしょうがないんですよ。」と言って、いとおしげに茶畑を見守る様子がとても印象的でした。 きっと、このお茶園からは、すごく美味しいお茶が出来る事でしょうね。 最近はペットボトルのお茶向けの需要は増えている反面、茶葉としての需要の先行きに明るいニュースを聞かず、お茶農家の大変さばかりを感じます。 しかし、お話を伺った後、ふと歌の一節が頭に思い浮かびました。 摘めよ摘~め摘め~摘まねばならぬ♪ 摘まにゃに~ほん(日本)の茶にならぬ~♪

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2010/12/13

医王山薬王院油山寺

油山寺(ゆさんじ)は遠州三山のひとつで大宝元年(701年)に行基が開山した古刹です。 天平勝宝元年(749年)には、孝謙天皇が眼病平癒を願い、寺内の「るりの滝」の水で眼を洗浄したところ、全快したので勅願寺に定めたとされています。又、油山寺の守護神軍善坊大権現は足腰に利益あらたかである為、古くは東海道を旅する人の信仰を集めて今に続いており、油山寺は「目の み仏」「足腰の神」として多くの人が参拝に訪れています。 戦国時代の兵乱に遭い、源頼朝や今川義元によって建立された塔堂は残っていませんが、江戸時代初期から中期の建物が多くあります。山門は眼病平癒の御礼として明治の御維新の際、時の掛川城主、太田備中守より掛川城大手門を寄進移築された物で、国指定重要文化財となっています。(現在の掛川城大手門はこの門の復元。)この山門の他、本堂内厨子、三重塔(桃山時代の三名塔のひとつ)も国指定重要文化財に指定されています。その他にも県の指定文化財になっている建物がいくつかあり、書院は横須賀城にあった物を安政6年に藩主から寄進された物です。 境内を歩いていて、あちこちで目に付くのが、「世界一願いの叶う大念珠祭」の看板です。これは、以前境内にありながら台風で倒壊してしまった千年槇を材料にして作った、総丈120mの「世界一の大念珠」を使って3年に1度行われる大祭の事です。「世界一(願いの叶う)大念珠、祭」と「世界一願いの叶う、大念珠祭」が掛けてあるようで、洒落を感じて楽しく思います。 他にも国道から分かれてお寺に向かう道路の交差点には、ミニ三重塔がてっぺんにのった「国宝 油山寺」と書かれた大きな看板があるのですが、よく見ると「国宝」の国と宝の字の間に小さな之(の)の字が。おかげで以前、私は油山寺の三重塔は国宝だと、ず~と思っておりました。 10年ほど前に訪れた際には、ご住職らしき方が日も暮れかけて寒々とした中、屋根だけしかなく1人が座るのがやっとの様な小屋で、一人でお守りを頒布しておられました。私が、よたよたと薬師本堂への坂道を上っていると、そのご住職が一足飛びで階段を登って追い越して行かれて驚いていると、直後に鐘の音がして感激した覚えがあります。今回訪れると、その小屋が見当たらない上に、お札所はちゃんと別にあって、記憶に?なところがあったのですが、お札所に座っておられた方の内のお一人は、まさしく記憶と全く変わりの無いままのご住職でした。広い境内には手書きの案内板なども多くあり、あれほど由緒正しく大きなお寺なのに、身近に「人」を感じる事が出来るお寺でした。 又、帰り際に「るりの滝」を通り過ぎると、二人の行者の方が交互に滝の水に打たれて、一心に祈っておられました。「目の霊山」としての強い信仰は今でも続いているのだと思い、油山寺を後にしました。

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