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勝浦

2010/10/14

官軍塚から八幡岬へウォーキング。と波情報。

こんにちは、フロント松本です。 先日、フロントのサーフィン仲間である益田氏と休みを合わせ、茨城県大洗の手前にある『大貫』というポイントへサーフトリップして来ました。 初日は雨・風が強く残念なコンディションでしたが、翌日は雨もあがり風もほぼ無風。 波のサイズも頭~セット頭オーバーでかなりのファインウェーブ! 3時間以上入り続け、くたくたになったのは言うまでもありません。 そんないい波が来ていた日々も終わり、最近はもも~腰、あっても腹サイズの日が続いています・・・。 そんな日は思い切ってサーフィンをあきらめて、ウォーキングなんかいかがでしょうか? 暑くもなく寒くもないこの季節、綺麗な海を眺めながらのウォーキングは最高です。 HVC勝浦から車で約15分のところに官軍塚という場所があります。 ここからの海の眺めもいいですが、官軍塚から海沿いの道を歩いて15分位南下したところに秘密の絶景ポイントがあります。 ←この写真がそこです。 断崖絶壁の上に勝浦城跡八幡岬(かつうらじょうしはちまんみさき)が見えます。 海の水も透き通っていてとっても綺麗です。 ここからさらに15分ほど歩くと ←八幡岬公園へたどり着きます。 緩やかな坂道と階段を昇り、岬の頂上へ行くと女神像のようなものが。 ←この像はお万様と言って、お万様は徳川御三家の紀州(頼宣)と水戸(頼房)ニ祖の母で、天正5年勝浦城主正木左近大夫頼忠の姫君として勝浦城内で生まれました。 しかし天正18年豊臣秀吉に攻略され北条氏が滅亡すると、勝浦城も本多忠勝や植村泰忠らの軍勢に攻められて落城いたしました。 14歳の姫君お万様は炎上する城を後に、母と幼い弟をつれて八幡岬の東側40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、小船で館山方面に逃れたということです ここを「お万の布さらし」と呼び後世に伝えられています。 その後お万様は徳川家康に見染められ17歳で江戸城に入り「蔭山殿」と呼ばれ龍愛されました。 ←こちらは八幡岬からの景色です。 手前の岩山のふもとにみえる四角い穴が見えますでしょうか? この穴、実は昔いけすとして使われていたようです。 魚が逃げてしまうんじゃないかと心配になるのは私だけでしょうか???

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