みなさま「青い目のサムライ」と称された人物がいるのを
ご存知でしょうか? 今日はいつものブログとは少し
趣向をかえて、わたくし大出が昔話をさせていただきます。
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関ヶ原の戦いの約半年前(1600年4月)、オランダの
ロッテルダムから日本に漂着したウィリアム・アダムスは
徳川家康のもとで通訳をしたり幾何学・数学・航海術などの
知識を家康以下の側近たちに授けた、と言われています。
やがて船大工であった経験を買われ、洋式帆船の建造を
家康から指示されたアダムスは伊東に「造船ドッグ」を設けて
日本で初めての洋式帆船を造船しました。船は城の築城に
役立った他、日本の文化を大きく変えるものとなりました。
家康はこの功績を称賛してアダムスを旗本に取り立て、
帯刀を許し、領地も与えました。またこの時に「三浦按針」
の名も与えられ、アダムスは日本の“武士”としての地位を
確立したのでした。 ちなみに・・「三浦」は領地がある
三浦半島の意味が。「按針」は“水先案内人”の意味が
あるそうです。
そんな偉業を成し遂げた「三浦按針」については伊東市でも
人々は讃え、今も語り継がれています。
オレンジビーチにある按針メモリアルパークにはアダムス像
と彼が建造した帆船「サン・ベナ・ベンツーラ号」の碑が
あり、たくさんの人々に愛されています。
海を背景に像を眺めていると、爽やかな潮風が吹いてきました。
時折遠くに聞こえるカモメの声を、その昔、按針も聞いていた
のでしょうか。
伊東温泉では8/10の按針祭をはさんで、7月・8月と数多くの
花火大会が開催されます。 洋式帆船発祥の地でみさなまを
お待ちいたしております!!
※写真3枚目の小さなアダムは写真2枚目の船のどこかに乗船
しています。是非、碑を訪れて、探してみてください。